所有しているという錯覚
人、物、自然
視覚情報として認識している存在は自らが所有できるモノなのか
所有できるできないの基準が、人の価値観と直結しているのではないかという仮説
土地を購入して料金を一括で建てた家は?
また、ローンの支払いを済んでない家は?
管理されていない山から採ってきたキノコは?
私有地の山から採ってきたキノコは?
奴隷制度でお金を支払って得た奴隷は?
自分の娘、息子は?
例えば一例として
自分の彼氏彼女は?
所有できる物→束縛、監視
所有できない物→ありのままを受け入れる
このような回答になる
昨日ある女性とお話して束縛の話題が出てきた為、ふと疑問に思った